2014年12月29日月曜日

肖像画の難しさ


 私がパステル画を始めたのは30年以上も前のこと。その動機は何であったのか、はっきり思い出せない。娘のクレヨンでいたずら描きしていたら、案外良い調子で風景画が出来たのに気を良くしたのだったか?小中学校以来絵など一枚も描いたことがなかったのに、突然の絵心が湧いたのは不思議だった。

 油絵は仰々しいので避け、画材屋でパステルを一箱買い、「ホビーとしてのパステル画」という100ページほどの入門書を読みつつ毎日塗りたくっていた。それ以来本も買わないし、絵の先生についたことも絵画教室に通ったこともない、全くの我流である。

 その内絵のテーマとして娘たちの顔を描くようになった。と言っても小さな子供を何時間もモデルに座らせることは無理で、専ら映りの良い写真を模写したのだが、それが病み付きとなって以来9割以上は人物画、すなわち肖像画が占めることになった。


(まったくのフリーハンドで描いた孫たちの鉛筆画。使った色は白のみ。Schmincke社パステルの白は最高の白!)

 肖像画は似顔絵ともいうように、似ていなくては意味がない。ところが何の技術的訓練もない者が描いてもおいそれとは似てくれないのだ。たまたま偶然に似ることはあるがそれもめったにない。子供の顔を描いても若い20代の女性になったりした。

 ある時イタリア映画だったか画家を取り扱った作品で、主人公が格子状になった4角の枠を目の前にかざし、それを通してモデルの顔や身体のプロポーション(大きさ、釣り合い)を計りながら描いているのを見て「これだ!」と思った。その後世界の名画画集などでも,ミケランジェロやゴッホでも有名な画家が補助線や枠を使って自分の絵の釣り合い等を決めていることを発見した。何もない紙やキャンバスの上にそのまま描く必要はない、縦横の線や枠を助けとして用いてもそれは決して邪道ではないことに気づいた。










(無邪気でまた神秘性も感じさせるフェルメールの「真珠の耳飾りの少女−青いターバンの少女−は、何度でも挑戦したくなる魅力ある絵だ)

 それ以後私もそんな方法を使って肖像画を描いているが、これで「似させる」ことがずっと楽になった。オランダの画家フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の素晴らしい表情に魅せられて、これまでに何枚か模写した例を挙げると…。補助線のおかげで大体の輪郭は似た。この過程をある日本の画家は「客観的な段階」と呼び「これで誰でもお手本と似た絵が描けるのです」と言っている。そうすると、色を施し陰影等をつける段階は「主観的」となるのだろうか?「真珠…」の場合色をつけ完成させた後、額から目はかなり忠実に出来上がったと思ったが、どうしたわけか鼻から下が数ミリ長くなって、顔全体の感じが変わってしまった。それでこれをボツにして、今度はターバンの黄色の部分もすべて描き込んで完成させた。鮮やかな油彩画の頬や目の輝きはパステルの色調ではどうしても達成出来ない。それに全体の明るい表情に似させるにもまだまだ手が届かないでいる。輪郭だけではとても到達できない道のようである。

 娘たちの世代の段階を経て今はもっぱら孫たちの顔を描いている。これまでに何十枚描いただろうか,百枚に達したか?良く撮れた写真をお手本にしているのは以前同様だ。沢山ある写真でも「これだ、この表情だ!」と、まず自らが感激し熱中し霊感を受けなければ決して良い作品は生まれないことが判った。我が家の各部屋の壁にはそんな絵が(ずぶの素人のまずい絵が)あちこちに飾られている。その前で満足しているのは本人のみでまったくおめでたい限りではあるが、しばらくは止めることはないだろう。

2014年12月19日金曜日

加湿器、空気洗浄器


 寒さの訪れの早いここ北西ドイツでは、もう11月の中頃からアパートの暖房が入り始めます。それから数週間経つと…。室内の空気がすごく乾燥していることに気づきます。喉がいがらっぽくなり、空咳が出る、鼻をかめば大きな鼻糞がとれる(尾籠な話でごめんなさい!)。そんな兆候が現れると住民は警告として真剣に受け止めなければなりません。

 「さあ、加湿器の季節よ」と妻が地下室からベンタ加湿器を持ち出し水道の水を入れます。我が家ではこの数年間このブランドの加湿器を使っています。ベンタと書きましたが、このmade in Germanyの器械の正式名はVenta(ヴェンタ)です。しかし日本のインターネットの広告ではベンタであり、こうしなければ日本人消費者に馴染めないのでしょうね。

 ベンタは実は加湿をするだけでなく、それに加えもっと重要な働きをするのです。それは空気中のちり、ごみ、バクテリア等を除去するという働きです。だから、ドイツ語ではLuftwäscher Ventaとなっています。即ち「空気洗浄機ベンタ」で日本語の広告では片仮名でエアウオッシャーという英語表記があります。そうなると冬期だけでなく、暖房機能はないので花粉症の時期やハウスダスト防止のため年中使えることになりますね。

 市場に出ているいわゆる家庭用加湿器には、気化式、スチームファン式、超音波式等いろいろなタイプがあるようです。ベンタはこの内の気化式に当てはまるのでしょうか?とにかく操作は簡単です。別売の洗浄液や、好みによりアロマ液を入れますが、それも毎回ではなく数週間に一度だけ。特別なフィルターは不必要で給水には普通の水道水を使います。クリーニングも容易でおまけに消費電力が少ない省エネ器と宣伝されています。

 他所のお宅で、加湿器から白い湯気が立ち上っているのを目にすると「ああ、良い湿気が部屋を満たし湿度を上げている、健康に最適だろうな!」と思ったことがあります。一方ベンタからはそんな目に見える湯気は出ず、モーターの回る音しか聞こえません。上に手をかざしても熱くも冷たくも感じません。本当に何か起こっているのか、と不安になりますが、しばらく時間が経ち湿度計を見ると室内の湿度が確かに上がっているので、ちゃんと機能していることが判ります。外から入って来た人が「ああ、すごく良い空気!」と驚嘆していました。

 
 これまで5リッターと7リッターのものを寝室や書斎に合計3台使っていましたが、今年は広い居間とダイニング域のためにドラムがダブルの10リッターのものを新規購入しました。数年の間にいろいろ新しくなり、モーター強度も電気表示になり、給水時を知らせる赤ランプもついています。お値段は交渉した結果300€を少し切りました!同じ量販店でスマートTV、ルンバ、アクティフライ等を買っている良い顧客であることが店のコンピューター記録に残っていた結果でしょう。日本ではこのタイプは7万円以上しますが、輸入品では円安ユーロ高の今は致し方ないのでしょうね。

 良いことづくめのようなことを書きましたが、ご覧の通り床にドンと置かれた4角い箱型の造りはスペースも取るし魅力的とは言えないかも?「シンプルな構造」と謳っているけど、30年前の形をそのまま踏襲しているのでしょう。ダイソンのハイジェニック・ミストやその他の社(シャープ、ダイキン)の製品等のすごくモダンなスタイルに比べるといかにもドイツ的な堅牢な造りですね。

 10リッター器を数日つけた結果室内湿度が55%を超え60%に近づいています。ところがどうしたことか、昨夜から喉が痛くなってきました。風邪かな?いくら自宅の部屋の湿度を上げ健康的な空間を作っても、外から風邪ビールスを持ち込んで来てはどうにもなりませんね!気をつけましょう。

2014年12月17日水曜日

手作りのプレゼント


 クリスマスが近づくとあれこれプレゼントを贈る人のことを考え、夜もおちおち安眠出来ません。孫たちを初めとして、おばさんフレンドや若者ガールフレンドをわんさと抱えるこの「不良じいさん」の悩みは大きいです。

 マーケットに出かけ買ってしまえば簡単ですが、どうもそういう気になれません。受け取る人の気持を考えると、やはり手作りが一番ではないでしょうか。それで、秋から始めた「裁ほう上手」のボンドを使い、この数週間いろいろ作りました。


 ごらんの通りキャラメルポーチとか、マチ付きバッグとか、同じものがいくつかできました。作る方は一人でも受け取る方はそれぞれ違う人なので、こっちが同じものを作っていることはわかりません。それに同じものをくり返し作っていると、段々コツが判り上達します。前の失敗をくり返さずもっと上手に作れるようになるからです。

 キャラメルポーチは小さいながら、なかなか難しい作品です。まず生地に製図を描くところから苦労します。それに加え、キャラメル折りにしてあちこち貼って満足のいく形にするのは並大抵のことではありません。でもこれは20cmのファスナー1本買えばできます。一方バッグ類は力シメ、ナスカン付き革ひも、マグネットホック,各種角カン、差し込み錠等々が必要です。でもここの町ではデパートでもホビーの店で何時間さがしても、そんなものはおいそれと見つからないのです。

 マグネットホックはやっと見つけましたが、本にあるような12mm14mmはなく大きな19mm一種類しかありませんでした(「大は小を兼ねる」と諦めて使いましたが)。持ち手のための革ひもも見つからず、やっと手に入れたものが、上の赤いバッグにつけた木製ナスカンつきのもので、まあ何とか見られるものになりました。でももう一つの可愛い家のついた小型のバッグには同じものをつけるのは避けたいと思いました。

 デパートで偶然何色かの細い革ひも(長さ1m)を見つけた時、これを赤・黒・ベージュの3本束ね三つ編みにして持ち手にすれば素敵なものになるのでは?と思いつきました。しかし編んでみると、これは「鮮やかな模様のバッグ本体に合わないわ!」という妻の反対に遭いました。彼女はモノトーンにしろと言うのです。その助言を入れてベージュを6本買って、太くするため二重にして3本ずつ持ち手に編んでつけたのがこれで、とてもいい感じに出来上がったと満足しています。やっぱり彼女の主張は正しかった、と脱帽した次第です。

 さてさて、後1週間ばかりの期間にもういくつプレゼントが出来上がるでしょうか。あまり新しいものには挑戦せず、今まで作った経験のあるもので着実にやった方が賢明だな、と考えています。

2014年12月3日水曜日

Japan Rail Pass


 今年の日本旅行にはJapan Rail Passを使った。普通車1週間有効切符(その他14日、21日券、グリーン車もある)で値段は29,110円、出国前にドイツの旅行社で引換券をユーロで購入した。それを持って930日に東京八重洲口のみどりの窓口に行き、最終有効日115日までのパスを入手した。

       (東京駅八重洲口の植物をつかったデコレーション)
 このパスは短期間日本旅行をする外国籍の人のためのものである。しかし私の場合がそうであるが、日本国籍を持つ者でも外国での永久居住権(無期限滞在許可)を有する者、外国人の配偶者である者は使用資格がある。

 利用範囲は新幹線を含む日本JRの各線とJR路線バス、フェリーであり、電車はすべて特急券、座席指定券が含まれ、みどりの窓口で希望の列車を伝えればすぐに発券される。但し新幹線はひかり、さくら、こだま、つばめのみに有効であり、のぞみ、みずほには使えない。新幹線時刻表によれば、のぞみ、みずほに比べ本数は毎時平均6:2であるから、利用出来る列車がかなり限られて来る。しかし1週間,新幹線は東京−名古屋と広島県福山まで往復、ローカル線は中央線と南紀線で連日パスを利用した総額を調べた結果60,000円以上になったので、交通実費は半額以下ですんだことになり、ずいぶんと経済的な旅行となった。



("Lonely planet" この900ページにも及ぶ旅行ガイドにも「世界で最大の旅行バーゲン」Japan Rail Passについて詳しく紹介されている)

 快適だったのは運賃が安くなったためだけではなく、パス利用者に対する各駅のJR職員の懇切な応対の態度だった。希望する列車の計画を告げると、すぐに乗り換えから連絡時間まで最善のもの(最速のもの)をはじき出す(時にはプリントアウトして)のは係員として当然だろうが、それに加え当方が乗換駅等はっきりせず迷っている際の提案もずいぶんと助かった。

 尾道から福山経由新大阪までは「さくら」、そこで待ち時間50分後「こだま」に乗り換え小田原までというケースで、こんなことがあった。指定席券には2つの列車名と座席番号が並んで印刷される。「この間新大阪で改札を出られるかもしれませんね。その時駅員がパス以外の切符は取ってしまうことがあり得ます。そうなるとその後の指定席番号が判らなくなるので気をつけて下さい。新大阪以降の指定席券は別に作りましょうか?」と。パス所有者はパスを見せるだけで改札を通過出来るので、その親切な申し出は受けなかったが、そこまで乗客のことに気を配るサービスぶりなのだ!それとは別だが、指定席番号が小さな字で2つ(またはそれ以上)並んで印刷されるこの切符は不便であることは確かだ。往路でそれを読み違えた妻が、正しい席に座っていた人にクレームをつけ恥をかいたことがあった!これだけは改善の余地がある点かもしれない。

 特急券と指定席券はJRパス所有者には無料で発券される、というのが規定である。11月初めの連休3日に名古屋−伊勢志摩−南紀を旅行する時、指定席が取れないかも知れず、また一緒に座れなければ不便だろう、ということで、妹が1ヶ月前に我々二人のためにも特急・指定席券を購入しておいてくれた。当日になって、この料金はパスに含まれるものだから払い戻しの可能性はないものかと問い合わせてみた。名古屋駅みどりの窓口は長蛇の列だったので、有人改札口の駅員に掛け合ったのだが要を得ないまま、発車時刻が迫ったのでそのまま乗車した。ところが検札の車掌が「これはレールパスの方お二人余分に払っておられます。車内では出来かねますが、勝浦駅でお申し出下さい。」と言う。それまでのいきさつを説明し、また購入したのはJR窓口ではなく町の旅行社であったと言ったのだが、「返金可能のケースだと思います。もし駅でダメだと言われたらお許し下さい」ということだった。結果は我々夫婦二人分往復全額で1万円以上の返金がなされたのだ!パス有効期限以前の購入である上、コミッションの問題もあるだろうJR以外のチケットサービスで買ったのに、この太っ腹な取り扱いには大いに感謝した。


 JR係員のサービスに加え、新幹線の列車も、従来の軌道を使うヨーロッパのICEとは比較にならないスピードと運行の静けさ・快適さがあることを再認識した。特に今回山陽路で初めて乗った「さくら」の車両に驚いた。5人掛けで明るい感じの「こだま」も良いが、4人掛けの「さくら」は座席の色も落ち着いて、ICEの1等車をしのぐほどの実に重厚な気分にさせられた。

2014年11月23日日曜日

日本旅行2014(6)


 楽しかった日本旅行も終わりに近づきました。11月5日8時半には向島の民宿を出てフェリーで5分(100円)尾道駅前に着きました。半世紀前の高校時代毎週のように乗っていたこのフェリーは当時「向島渡し」と呼ばれていました。

 今回の旅行のためドイツで買って行ったJapan Rail Pass1週間有効)の最終日が5日です。帰国の飛行機ANAデュッセルドルフ直行便は7日午前11時半出発、6日午後遅くまでに東京に帰れば良いので、パスの使える5日はなるべく長い距離で新幹線を使い、6日は東京までの交通費を最小限に節約しようという計画を立てました。それでほぼ5時間かかるJR尾道−小田原を選びました。旅の最後は箱根観光に決めたからです。尾道駅みどりの窓口の係員は,こちらの希望通りてきぱきと乗り継ぎを決め一番早い列車予約を取ってくれました。レールパスの経済的なこと、そしてどこでもJR駅員・係員・車掌の応対サービスのすばらしいこと!これについては改めて書きたいと思います。

 小田原から箱根仙石までほぼ1時間のバスは終始ヒヤヒヤさせられました。運転手は慣れているのでしょうが、この「登山バス」つづら折りの山道をすごいスピードで走り下ります。反対車線は平日にかかわらず延々と続く車の渋滞でほとんど動いていません!「帰路は別の道にしよう」と即断しました。

 目的地のホテル「東急箱根ハーヴェスト甲子園」にたどり着いたのはもう辺りが暗くなり始めた頃、その晩は夕食と温泉でゆっくり過ごしました。翌日は早朝から活動開始、ホテルから徒歩でいける範囲に「湿生花園」と「ススキの仙石原」があるのです。


 「湿生花園」は川や湖沼の湿地に生育する植物200種中心の植物園です。その他にも草原、森林、高山植物1100種類が見られ、植物の趣味をもつ妻には正にパラダイスです。晩秋のこの季節はやはり、カエデ仲間の種々の紅葉したモミジ、カズラ、そして優雅な紫色のコムラサキ、リンドウを心行くまで楽しめました。

 植物園で1時間半ほど過ごした後、また小雨模様となったので急いで園前に停まっていたタクシーで仙石原へ向かいました。江戸時代初期までは千石という地名の村でしたが、それはこの地を開墾して米を作れば千石は穫れるだろうと人々が予想したからです。しかし火山灰土壌の上湿地帯であったこの地ではそれは夢に終わり、結局屋根を葺くカヤ(ススキ)を栽培し近辺に供給販売をすることになった、ということです。


 ススキは季節毎にその美しさを表しますが、晩秋の候には見事な黄金色となり、山全体が光る絨毯のようになります。この日は残念ながら太陽は顔を見せませんでしたが、風にそよぐススキの美しさは十分に堪能しました。小雨にもかかわらず観光客の群れは途切れることを知らず、温泉場も多い箱根はやはり日本で指折りの人気観光地であることを改めて認識しました。


 雨のため帰路のタクシーは出払って捕まらずホテルまで徒歩で230分,昼頃のシャトルバスに乗り強羅まで行き、そこからは登山電車で湯本,小田原を経由し、新幹線は自由席を買って節約、東京へは1時間足らずで着きました。最後の夜はまた以前泊まった銀座クレストンホテル、翌日(7日)成田経由でドイツへ帰ってきました。今回は今までにない、自分の脚を使って歩き、また走り回った実に健康的且つ活動的な日本旅行でした。

2014年11月18日火曜日

日本旅行2014(5)


 3 連休の最後の日113日は鉄道7時間半の大移動の日となりました。勝浦を「特急ワイドビュー南紀」で9時少し前に出発、名古屋まで3時間56分。そこで妹夫婦と別れ我々は新幹線の「ひかり」「さくら」を乗り継ぎ、新大阪−岡山−福山経由で最後はローカル線に乗り換え、東尾道に着いたのは1626分でした。これはドイツでインターネットを頼りに自分で立てた旅程で、1分の遅れもなくぴったり定刻に到着、実にいい気分でした。そこで出迎えてくれたのは高校時代の同級生R君、彼は尾道で大きな家具屋を営んでいる人です。彼には瀬戸内海の旅の計画から実行まで、ずっとお世話になりました。
              (因島重井「白滝山荘」での小同窓会)
 先ずR君のお店を見学しご家族にも会い、そして34日の宿舎である向島の民宿「B&B潮風」に荷物を置いてからすぐに因島に向かいました。そこは私の高校時代の懐かしい故郷の島なのです。この機会に島に住む同窓生23人に会って食事ができれば嬉しいな、とR君に伝えておいたのですが、着いてみて驚いた!我々夫婦を入れ総勢12人が集まり小同窓会となったのです。全員相変わらず元気そう!酒を酌み交わし新鮮な魚介類を食し、大いに盛り上がった会は数時間に及びました。しかし我々のためタクシーサービスに努めてくれたR君だけは好きな酒が一滴も飲めず、気の毒なことでした。
               (生口島と大三島を結ぶ「多々羅大橋」)
 翌4日は、妻がガイドブックから得た情報で、「しまなみ海道」サイクリングの一日となりました。この海の道は本州尾道を出発点とし、6つの島(向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島)を橋で結び四国の今治まで続く70kmの自動車(と自転車)道なのです。しかしほぼ半日しか時間の取れない我々にとって全行程はとても無理なこと、その内2つの橋を渡り3つの島を走ることにしました。
            (多々羅大橋で拍子木を叩き「鳴き龍」を共鳴させる)

 出発点はまたR君のタクシーサービスで着いた生口島のサンセットビーチ、ここからすぐに多々羅大橋を渡り大三島となります。自転車はレンタルですが、身の程をわきまえて電動アシストつきにしました。橋のアプローチ部分がかなり長い傾斜となる、と聞いていたからです。この海道第2の大橋は印象的でした。日本最長約1.5kmの斜張橋ということで、高所恐怖症気味のある妻は左側通行で海が眼下に見えると目眩がしそうになりフラフラして一寸心配しました。

                (熟れたミカンがたわわに実って)
 幸い雲一つない快晴の日で、青い海の面に太陽がキラキラ反射し、速い潮の流れが渦を巻き、無数の島が次々に現れ、熟れたミカン畑の黄金色が目にまぶしい!瀬戸内海の景色は正に天下一、外国人サイクリストが「日本一の最高コース」と折り紙付きで賞賛するのもむべなるかな、です。

 途中で出会うほとんどのサイクリストは、ツーリング用の本格的な自転車に乗っています。「今朝8時に愛媛県今治を出発しました」という若者は2時間ばかりでもうコースの半分ほどを走破していました。ほぼ平坦な道が続き、それに先を急ぐサイクリングでもなし、我々はゆっくり辺りの景色を楽しみながら走りました。
            (船が折れそうになる急潮流と渦巻きの「船折瀬戸」)
 塩で有名な伯方島で昼食、もちろん塩ラーメンと塩味ソフトクリーム、おみやげは塩入キャラメルと塩の花です。そして今日の最終目的地は、正規の自転車路をはずれ同島の西端にある「船折瀬戸」です。ここは潮の流れが速く航行する船が折れるほど、ということでこの名があります。丘の上から見たこの急流と辺りの景色のすばらしいことは、もう表現する言葉も見つかりません。
           (伯方島と大三島を結ぶ大三島橋を背景にした「船折瀬戸」)
 電動アシストのおかげで傾斜のある場所も、時折の向かい風もものともせず,夕刻には出発点に無事帰着しました。このようにして、この小サイクリングツアーは今回の日本旅行のハイライトの一つとなりました。その実現のために終始助力してくれたR君に心からお礼を言いたいと思います。

2014年11月16日日曜日

日本旅行2014(4)


 102日は早朝に起床し急いで朝食をすませ、8時前にはホテルを出発しました。その日は熊野古道を歩く計画だったので、南紀勝浦に午前中の内に着きたかったのです。JRの電車は乗り換えも含め約3時間で勝浦駅に着きましたが、また小雨が降り始めていました。

 駅でスーツケース等手荷物すべてを預け身軽になりました。いや、預けるだけでなくその晩泊まるホテルまで配達する手配もしました。これは前の日もやったことで、手荷物なしで身軽に観光するにもってこいのサービスです。ヨーロッパのどの駅でも、荷物預かり所かロッカーはあっても、ホテルまで届けてくれるこのようなサービスをするところはどこにもありません。


 この日の行程は勝浦駅からタクシーで数分の所にある大門坂から出発し、1.3km続く石の階段をひたすら登り那智の滝に達するコースです。ここは有名な熊野三山を目指すいくつかの巡礼道の一つなのです。まだ時折小雨が降って濡れている石段は、ともすればすべって転びそうになり、私たちは一歩一歩こわごわ歩きました。こんな所で足でもくじいて動けなくなったらもうお手上げですから。昼尚暗い途中の杉林の登り坂には歴史の跡がしみ込んでいるようでした。今から1000年以上も前に白川上皇が巡礼の旅を始めた後、京都の貴族も沢山それに倣って熊野詣でをしたということです。そんなことを真似してか、貸衣装でお公家さんの恰好をして石段を登る若者たちを2組ほど見かけました。それが史実に基づいたことなのかどうかは詳らかにしませんが、私にはどうもコスプレ趣味のお遊びのようにしか思えませんでした。


 このコースの最終点、そして最高峰は那智の滝です。幅13m滝壺までの落差133mの日本一を誇るこの滝は、数日前から降り続いた雨のためさらに水量を増やし、ごうごうと音を立てて落ちている様子は壮観でした。巡礼街道である熊野古道は那智の滝を合わせ2004年にユネスコ世界遺産に指定されましたが、道が世界遺産に指定されたのは世界中でここと、やはり巡礼の道をもつスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラの2カ所だけだということです。数日後この二つの世界遺産を比較し,報道するTVの旅番組をやっていましたが、日本滞在中に幸運にもそんな番組を見ることが出来たのは、両者ともに訪れる機会があった私には特に興味深く感じられました。


 その晩は勝浦港に面したホテルに一泊しました。南紀はやはり潮の香りのプンプンする漁師の世界です。ホテルの夕食時にはマグロの解体ショーもあり、豪快に切り分けたマグロをいやというほど食べました。私の母方の祖父(明治18年=1885年生まれ)は勝浦よりさらに南の串本の網元の出であると聞いていました。そんな話にだけは何度も聞いていた祖父の出身地、南紀州の海の地を今回訪れることが出来たのは本当に幸いでした。


2014年11月13日木曜日

日本旅行2014(3)


 中山道のハイキングを終えた1031日の夜は名古屋に一泊しました。111日からの3連休は妹夫妻と共に伊勢志摩から南紀への旅です。夕方から降り出した雨は夜になってますます強さを増していました。

 駅前のホテルで合流し、ふくらはぎの痛さに悲鳴を上げながら駅ビルでの夕食に出かけた時も激しい雨。目指す名古屋名物の「ひつまぶし」は店先の長蛇の列を見てあきらめ、もう一つの名古屋名物「きしめん」にしました。


 翌朝も相変わらずの強い雨、JR伊勢市駅に着いてすぐ伊勢神宮内宮に向かいました。予想はしていたけれど、雨をものともせず繰り出したお伊勢参りの人の大群!場所柄をわきまえてか黒っぽい正装に近い服装の人が多く見られました。ズックにジーンズ、アノラック、リュックの我々は気が引けることしきり。2013年に遍宮を終えたばかりで木肌も新しい鳥居をくぐり、五十鈴川にかかる宇治橋をわたりお手洗場を経て30分も雨中を歩くと、そこはもう内宮・御正宮です。内宮の中でも最も神聖な場所のここではすべて写真撮影が禁止です。その上おみくじ、お守りを売る場所まで写真禁止されているのはなぜでしょう?

「お手水の作法」(左手から始め右手へ、そして口すすぎ等の)も「二拝、二拍手、一拝」の礼拝規定も守らず、おざなりの参拝をすませた不信心な旅行者は、「おはらい町」とその中にある「おかげ横町」での食事と買い物が待ち遠しい思いでした。前の晩食べ損なった「ひつまぶし」にもここでやっとありつけ大満足。しかしあまりのボリュームに名物「赤福」を食べる余地がなくなったことは残念でした。ここのショッピングストリートは浅草の仲見世、飛騨高山の壱之町通りにも匹敵する通りで、売られている商品はどれも魅力あるものばかりでした。ここまでで朝から数時間、雨水を吸ったリュックの中の文庫本までグショグショになっていました。


「伊勢志摩へ行ったら真珠を買おう!」と、妻に半分約束半分冗談で言っていましたが、旅行中に誕生日(1028日)を迎えた彼女のため、やっぱり一肌脱ごうという気になり、タクシー運転手さんの案内である店に寄りました。まあ沢山の種類があるわあるわ、30分以上探した後やっと奥さんの気に入った、小粒で色んな色合いの珠を使ったネックレスが見つかり買うことが出来ました。旦那には値段が割合安かったこと(妻が気を使ったか?)が大変気に入りました!


その晩は志摩の海に面したホテルに宿泊、雨は少し小降りになったようですがまだまだ青空は望めません。旅はここからさらに南紀勝浦へと続き、熊野古道を歩くことが計画表に載っています。