2014年3月27日木曜日

ハウスコンサート


 昨年105日のブログでご紹介した、靴の会社Deichmannの一家は音楽に造詣が深く、一族が集まるとすぐに家庭音楽会が開けるほどです。ダイヒマン老会長さん自身もバイオリンが弾けるし、その他ビオラ、チェロも揃っているので弦楽四重奏はすぐに出来ます。その他にも管楽器や声楽を習っている子供や孫もいるので、よく家庭でコンサートを開いています。

 特に会長さんの次女コルネリアの家族にはタレントが揃い、その長男ヨハネス(会長さんの孫で30代初めの人)が音楽学校でバイオリンを専攻し、遂にプロの演奏家になりました。今弾いているのは、南ドイツの町シュツッツガルトの交響楽団です。今回彼の楽団の同僚を招き、エッセンの自宅でハウスコンサートが開かれました。

 この次女の家ではプロを招いてのハウスコンサートが恒例となっており、定期的に毎シーズン一回は催され、多くの友人・知人が招かれ、我々にも欠かさず招待状が送られてきます。これもダイヒマン家の昔からの慣習であり、会長さんの家にもよくプロの演奏家と友人たちが招かれていました。

 先週末に開かれた、そんなハウスコンサートの様子をご覧に入れましょう。このグループLiliencron Quartettの(リーリエンクロン四重奏団)のプログラムには第1、第2バイオリン、ビオラとチェロによる弦楽合奏3曲がのっていました。

 最初のモーツアルトのKV465ハ長調弦楽四重奏曲(不協和音)は、各パートの楽器が高い方からイ、変ホ、変イ、ロの音で弾き始める導入部があり、いつ聴いても不安な気持ちが起こります!あの時代、初演の時聴衆はどう思ったでしょうね。演奏者がそれぞれ間違った音符を持って来て弾き出した、とでも思ったでしょうか。2曲目はチェロが抜けたドボルザークのトリオ、作品74番でした。バイオリン2つとビオラという組み合わせの三重奏曲は珍しく、めったに聴けるものではありませんが、やはりこの曲にもチェコの民族的曲想が豊かに感じられ大いに楽しめました。

 休憩の後はラベルの弦楽四重奏曲。楽譜を見るとものすごく複雑、ピッチカートは多いし、しょっちゅうミュート(弱音器)をつけたりはずしたりで演奏者も忙しそうでした。この曲の最初の出だしはへ長調で単純なメロディーですが、これが流れ出したとき「ああ、懐かしい!」と思ったことでした。もう半世紀も前のこと(中学生か高校生の頃)、どういうわけか、このラヴェル唯一の弦楽四重奏曲が友人の家にあって何度も聴かされたのです。勿論LPさえなかった時代、78回転のレコードで何度も聴いたのがはっきり思い出されました。


 ここのハウスコンサートのもう一つの魅力は、その後にホスト側が準備した美味しい食事が出ることです。7時から2時間半続く演奏会の後でもう10時近くになっていましたが、美しい音楽の後のご馳走はとくに美味しく感じられました。また次の機会に開かれるハウスコンサートが待ち遠しいことです。

2014年3月25日火曜日

クロッカス花の祭典


 321—23日に町の中心にあるSchadowplatzで「クロッカスの花の祭典」が開かれました。主催者はPro Düsseldorfという名の自然保護・振興協会です。開会式にはElbers市長を初めお偉方の面々が出席し、舞台の上では子供たちの演技の発表があり、広場ではクロッカスやチューリップ、その他の春の花々の鉢植えが売られていました。

 この協会は、2008年初頭ライン河畔のクロッカス栽培を計画した団体なのです。2000人以上のボランティアが集まり、500万株のオランダ産クロッカスの球根が植えられました。長さ1.3km、幅30mの地帯は「ライン河畔の青いベルト」(Das Blaue Band am Rhein)と名付けられました。その後球根はさらに150万株も追加され、現在では長さも2.5kmにのびています。


 「青いベルト」という名前ですが、クロッカスをドイツ人は青い花と見ます。我々日本人の目にはクロッカスの色はどう見ても濃い紫に映りますが…?それはともかく、Pro Düsseldorfはクロッカスベルトが真っ盛りの時期に、上の祭典を合わせたかったに違いありません。それが今年の暖冬異変で、もうすでに2月の終わり頃にはクロッカスは満開に達していました(224日付けのこのブログを参照して下さい)。しかし何ヶ月も前に日取りを決めなければならない催し物の年間計画のことゆえ致し方なかったようです。そんなわけで今年はちょっと間の抜けた開催となってしまった感ありです。冬の終わりから春先の天気は、年によって数週間ものズレが生じるものです。

 
 でも、「青い」クロッカスが1本でも残って咲いていないかと、念のため自転車で河畔まで走って探してみましたが、やっぱり無駄でした。その代わりグリーンの草原には白や黄のラッパスイセンの真っ盛りでした。この花はドイツ語でOsterglocke、即ち「復活祭の鐘」と言います。今年のイースターはかなり遅く、420日となりますが、その頃には今度は復活祭の鐘が全部枯れ果ててしまっていることでしょう。今年のチューリップ開花もそれに従って早くなるかも知れません。

2014年3月21日金曜日

グラフィティは芸術か?


 我が家を出てすぐ左に曲がると、そこから素晴らしい散策路が始まる。青々とした草原が目の前に広がり、樹齢何十年の大木の並木道が続く。そしてほどなくこんもりした森の公園に着く。遠路日本からのお客さんを案内するにはもってこいの散歩道ではある。しかしその帰路…


 U78電車駅のすぐ前の住宅地に入ると、「まあ、ひどい!汚いわね!」と驚きの声が出た。それは長い白壁に書かれた数多くの落書きのためである。立ち並ぶ豪邸の壁や塀に、ところ構わず落書きをする輩が後を絶たないのだ。それらは電車の窓から通勤者、見本市来訪者たちの目に、いやでも映るのだ。

 これを「落書き」と呼んではいけないらしい。発祥の地と時はアメリカ、ニューヨーク1970年代で、その後全世界に広がった運動だという。前衛芸術家を気取って書いたり描いたりする連中(ライターまたはペインター)は、グラフィティとかエアロゾールアートという特別名称で呼ばれるべき芸術である、と主張しているようだ。しかし、意味不明な文字や抽象画まがいの作品から、私にはまったく芸術的な趣は感じられない。


 元来ライターの間には、個人住宅の壁、商店やガレージのシャッターには描かない、という不文律があったようだが、こんな落書きを見るとそれは全然守られていないことがわかる。この辺りの家の持ち主たちも、初め頃は業者に費用を払って消していたようだが、消しても消しても落書きは後を絶たない。もうそんな「いたちごっこ」に疲れ果てたのか、この頃は放ったらかしになっているようだ。

 デュッセルドルフからデュイスブルグへ行くU79電車の路線の沿線は、ペインターたちの群がる場所だ。彼らのキャンバスとなるべきコンクリートの壁がワンさと用意されているからだ。これらは、危険を避けながら終電から始発までの数時間に、恐らく一人ではない、グループでやった作業だろう。こんな落書きをしても、公共器物損壊という犯罪行為には問われないのだろうか。

 我が家からわずか数キロ四方歩いた340分の散歩道にこれだけのグラフィティがあった。せっかくの春の散策気分が壊されること甚だしい。これを見回り、取り締まる市の役所(警察、公安課?)はないのだろうか。彼らの仕事は人目につかない真夜中だろう。一体彼らがどんな時間にどんな作業をするのか、一度見てみたいという気持ちには駆られるのだが…?

2014年3月16日日曜日

残り布を使って


 洋裁をやっていて何時も惜しいな、残念だな、と思うのは、生地を裁断した後に出る端切れです。市販の型紙には必要な生地のサイズ(幅◯◯センチで売られている布なら長さ◯◯センチ必要と)が記されているけど、それでも裁断の後にかなりの残り布がでてしまいます。それが溜まりに溜まって「無印良品」で買った大きな布製の箱二つに一杯詰まっているのが現状です。そしていつかは捨ててしまうことになります。

 端切れの使い道は小物作り等いろいろあるでしょう。最近色鮮やかな端切れがかなりたまっていたので、これを継ぎ合わせ、ほぼ1㎡ほどにして幼稚園児の孫のため、フード、裏地つきのコートを縫うことを思いつきました。これは亡母がいつか私の娘のために、同じような可愛い半コートを縫ってくれたことを思い出したからです。
 

 これは一種のパッチワークです。そのため使えそうな布を探し、一辺を縫い代つきで12㎝の正方形を切る作業から始めました。最初一辺5㎝ほどを考えましたが、それだと200枚以上は切り、縫い合わせなければならない。その手間を避けるため後にサイズを倍にしました。一単位があまりに小さくするより、10㎝ほどの方がコートには良いことも判りました。


 本来のパッチワークは手作業が多いけど、今回はすべてミシンで縫い合わせました。100枚以上の布は、同じ色調のものが並ぶのは避けましたが、ほとんど「でたらめ(at random)に」並べました。出来上がったものを2つに折り(後身頃のため必要)型紙を載せ裁断し、それを縫い合わせ、フードもつけたものがこれです。オープンファスナーは40㎝のものを使いました。

 縦横にガシャガシャ縫ったパッチワークの内側はひどいものですが、これに裏地をつければすべてが隠れてしまいます、やれやれ!

 今回の裏地は普通のスベスベした材質のものを使いましたが、これを厚手のウールにしたり、中に寒さを通さない耐寒用ボリューム・フリースを入れれば、冬期のコートにもなりますね。さてうちの5歳のお孫ちゃん、これからの春の季節に喜んで着てくれれば幸いですが…?

2014年3月12日水曜日

生地の市場 (Stoffmarkt)


 シャツ、ズボン、洋服等自分で縫う時、先ず生地探しから始めなければならない。私は大抵Karstadtデパートの生地売り場へ行くのだが、そこでは気に入るものの種類が限られている。売り場自体が最近最上階の片隅に縮小・移転させられ生地の種類も少なくなった。近頃は安価で良いぶら下がり衣料が増えたため、わざわざ自分で手間ひまかけて縫う人が減ってきたのは確かだが、その売り場にはまだまだ顧客が現れるのを見れば、趣味で洋裁をやる人が絶えることはないようだ。

 そんな需要に応えるためか「生地の市場」(Stoffmarkt)がドイツ各地で開催されている。この半年間の計画表を見ると2月から6月にかけ、回り持ちで毎週末40都市において開かれ多くの人が出かけて来るようだ。我々も去る日曜日(39日)23℃にも達した春の暖かさに誘われ、娘夫婦の住むBielefeldの町で開かれたマーケットに出かけた。


 町の真ん中の広場に、写真でご覧のような100軒ほどのスタンドが並んでいた。そして、「あるわ、あるわ!」何千何万という生地の種類の豊富なことに驚く。これだけあれば、欲しいものは何でも見つかるだろう。お客は90%が中年以上の主婦で、その買い方のエネルギッシュなのに圧倒される。若い女性はほとんどいないし、奥さんのお供で仕方なくついてきた旦那さん以外、自ら買い物をする男性は目に入らない。私は自分用にズボンとシャツの生地を目指していたが、これだけの華やかな生地とおばさんばかり目にすると怖じ気づいてしまった。その結果、孫のコートのためのオープンファスナー(40㎝)を1本買っただけで、とうとう自分のものは買わずに帰って来てしまった。


 主役の生地は言うまでもないが、その他の付属品(ボタン、ファスナー等)、完成した手芸品、新型のミシン等のスタンドも多く見られ、これも興味深かった。 私もかなりの出資をするから知っているが、洋裁に必要な付属の必需品の値段も馬鹿にならない。

 この町は元々繊維製品(リンネル、亜麻布)で有名な所で、広場に造られた石のベンチもご覧の通りクルクル巻いた生地のロールの形になっているほどだ。

 この日は上天気で良かった。これが土砂降りの雨の日に当たったら一体どうなることだろう?布だから溶けることはないが、ものによっては濡らしたくないものもあるだろう。会場を歩きながら、人ごとではあるがそんな心配の思いも浮かんだ。